やよいと申します。創業の想いを綴っています。少し長いですが、お時間ある方はお付き合いいただければ幸いです。私は9歳と6歳の男の子の母親です。
幼少期を米国で過ごし、成人するまで東京都練馬区で育ちました。昔、近くに米軍の基地や飛行場があったことから、歴史的に繁華街も栄えており、そのためか小学校には、多くの異業種の子どもたちが混ざり合い、年頃になると 、茶髪、タバコ、シンナー、その他いろいろ(ここには描けないようなこと)も横行する状態でした。
仲の良かったともちゃん(仮名)もひとり親で、時には、母親が一人で切り盛りする居酒屋の手伝いがあり、帰宅するとすぐ居酒屋へ行き、朝は寝ているお母さんを起こさないように学校に来ていました。下校時もお母さんが寝ていることもよくありました。ともちゃんはいつも明るくて可愛くてクラスの人気者でした。他にもワンルームで家族で住んでいる友達や、両親共に何かの事情でいつも家にいない友人もいました。
私は、幼いながら、生まれた場所で大きな差があるのだと感じました。当時の記憶がしっかりあるとは言えませんが、勉強したくても時間がない、きちんとしたご飯が提供されていないそういう友人が少なくなかったと思います。5-6年生の頃には、そういう話を聞いて、大人や社会に対して、悔しくて憤ったり、泣いたりすることもありました。
私はその地域の中学を卒業した後、進学し、大学ではサークル活動やバイト、友達と遊ぶ傍ら、キャンプ場で子どもたちと大自然でいろんな体験をするボランテイァや富士山の樹海を清掃する活動などに夢中になりました。
卒業後は、 国内ではじめて企業内学校を設立し、教育と雇用を同時に提供した大原孫三郎(おおはらまごさぶろう)という経営者に憧れ、その方が創業した会社に就職しました。人事部を志望しましたが、配属の結果、その後およそ、11年間投資の世界に足を埋めることになりました。
2005年頃の株式市場はJapan Passing(日本を通り過ぎる)と言われ、人々の関心がテレビからスマホにうつるように、世界の関心は日本からアジアへにうつっていきました。毎年、日本を訪れる外国の投資家の数は肌でわかるように減少し、そんな時代背景から、私は日本の技術・雇用を守れる投資に使命感を覚えて、公私問わず有志の仲間や大学の先生等と議論を深め勉強や実践を重ねていきました。
その後、縁あって、2017年に投資家という立場となり、5年以上働いた末に、確かに資本市場というのは、新しい技術や産業の成長に欠かせず、お金を必要なところに集める機能がありますが、利益をいかに増やすかという仕組みであることには変わりなく、そのためコストである、原材料費、加工賃(労働)、サービス費(労働)をいかに安くするのか、そういう磁力があることには変わらないと、賛否両論あると思いますが、私なりに理解しました。
投資家として企業と議論する際に、「売上高をいかにあげるのか」に次いで、「コストをいかに下げるのか」がいつも議論の的になります。しかし「コストをいかに下げるのか」はそのまま、労働をいかに安くするのかに直結します。
私は、その議論をするのがだんだん苦しくなり、言葉が喉を通らなくなり、まるで電気椅子に座らされているような感覚さえ覚え、これ以上、わたしは、資本の側としては働けないと感じました。そして気付いたら私は会議の場で「やめます」と話していました。それが2022年の末です。
その後、半年のブランクを経て、この” Luxury Me Luxury World” の構想が生まれてきます。金やダイヤモンドというジュエリーはどの国でもおばあちゃんが大切に守り、子や孫にひきつがれ、何かあった時には、時代を超えて力になってくれるものです。私も89歳の祖母から真珠のネックレスを譲受け、とても大切にしています。
ジュエリーを通して、私たちが実現したいこと。それは、生活必需品ではないジュエリーを通して家で眠っている資産に新しい価値を与えること。ジュエリーの輝きが潤いと笑顔を増やすだけでなく、できれば世代を超えて資産や子孫を守っていくこと。 そして出来る限りの効率的な経営を通して、生まれた利潤の一部を、私の級友のともちゃんのような、支援の必要な子ども、地域、自然環境に届けること。
そして、いつか還暦のお祝いなら、成人のお祝いなら、大切な人へのプレゼントなら、プロポーズなら、Luxury Me Luxury Wolrdで、と選んでいただけるような真っ直ぐなブランドに育てていきたいと心から願っています。