Story

20年目の贈り物 

20年目の贈り物 

ご結婚20周年の節目に、奥様へ贈られたLuxury Me Luxury World初となるフルオーダーメイドの指輪。その旦那様である麻田大介様から届いた素敵なエピソード(手記)をご紹介します。 「20年目の贈り物」 きっかけは、妻が10年ほど前に結婚指輪をなくしたことでした。当時の僕には妻が指輪をなくしたことに対する怒りや寂しさはありませんでした。ただ、なくしてしまったものは仕方がないなと感じていたことを覚えています。 しかし、新たに結婚指輪を購入して妻にプレゼントしようという気持ちも生まれませんでした。それは気持ちの面でも金銭面でもなく、結婚指輪を贈るタイミングは一度きりだと思っていたからです。   そんな僕が結婚20周年の節目にもう一度、妻に結婚指輪を贈りたいと思うようになったのはluxurymeとの出逢い、そしてluxurymeのメンバーとのある出来事が大きく関係しています。 2024年の秋、後輩の結婚が決まりました。後輩から婚約指輪について相談を受けた僕はluxurymeを紹介しました。ゼロからつくり上げていく企画。幸せなゴールを思い描いていたのは僕だけではなく、luxurymeのメンバーも同じだったと思います。 後輩との打ち合わせを重ね、丁寧なヒアリングから、luxurymeの熱意が込められたプレゼンテーションまで。メンバーの皆さんにはたくさんのご尽力を頂きました。しかしluxurymeにとって初めてのオーダー企画は残念ながら実現には至りませんでした。 メンバーの皆さんがひとつひとつのプロセスに向き合う姿を特等席で見させて頂いた僕の心は次第にある想いへと傾いていきました。 「この人たちに、妻への結婚指輪をオーダーで託したい」 そう思った瞬間、妻への結婚20周年の贈り物が決まりました。 2025年、luxurymeのメンバーに僕の想いを伝えました。そして結婚20周年を迎える2026年。メンバーの皆さんは僕たち夫婦のために動き始めてくれたのです。結婚20周年のプレゼントについて、僕は妻にサプライズで贈るのではなく、まずは妻自身の想いを聴くことにしました。僕の気持ちだけが一方通行にならないように妻の気持ちを大切にしたかったからです。そんな僕の想いをluxurymeは何よりも大切にしてくれました。 ZOOMでの打ち合わせでは妻の要望をはじめ、デザインや素材、サイズに至るまで細やかにヒアリングしてくれました。  妻が以前、結婚指輪をなくしてしまった原因はそのデザインにありました。凹凸のある指輪には石鹸が挟まることが多く、入浴の際に指輪を外すようになったことがなくしてしまった大きな原因だったのです。 そんな僕たち夫婦の想いを胸に3人は僕たちの願いを叶えられるアトリエに出逢うため、複数のアトリエに足を運んでくれました。最後の最後まで3人で意見を交わしながら、ようやく最終的なデザインに辿り着いたそうです。妻がずっと身に着けていられるデザインを優先して考えてくれたことも本当に嬉しかったです。 アトリエで打ち合わせしているluxurymeのメンバーからLINEが届きました。指輪の内側に刻む文字についての確認でした。手書きのメッセージを刻印することもできるそうですが僕が唯一こだわりたかったのは以前の結婚指輪と同じ刻印にすることでした。 2006.10.17 いつまでも変わることのない、僕たち夫婦の大切な記念日です。 そして、2026年10月9日。 この日、luxurymeのメンバーから結婚指輪を受け取りました。約束していた結婚20周年の記念日を前に直接手渡しで届けてくれた3人の気持ちがとても嬉しかったです。溢れそうになる涙をこらえながら笑顔で指輪を受け取りました。 記念日よりも少し早いタイミングでしたが、受け取ったその日、僕は妻に20年目の贈り物を渡しました。3人が妻の想いを汲み取ってくれたデザインを見た妻のリアクションは……。 「この指輪は一生外さない……」 妻のそのひと言を聴いて、これまで妻がずっと心のどこかで後悔していたのだろうと、その想いが伝わってきました。 そして今回、luxurymeのジュエリーを通じて妻が抱えていた後悔とお別れできるのだと確信しました。20年目の贈り物となる指輪を手にした妻の表情には笑顔が溢れていました。 「オーダーできるジュエリーって良いね。」 もちろん、その笑顔を見ている僕も笑顔に。そして、僕たち夫婦のために携わってくれたluxurymeのメンバー3人の笑顔も自然と浮かんできました。 luxurymeの皆さんの仕事は人の幸せをカタチにできる仕事なのだと改めて感じました。そして、そんなluxurymeに依頼できたこと自体が僕にとっての幸せでもありました。オーダーだからこそ生まれる幸せがここにありました。...

20年目の贈り物 

ご結婚20周年の節目に、奥様へ贈られたLuxury Me Luxury World初となるフルオーダーメイドの指輪。その旦那様である麻田大介様から届いた素敵なエピソード(手記)をご紹介します。 「20年目の贈り物」 きっかけは、妻が10年ほど前に結婚指輪をなくしたことでした。当時の僕には妻が指輪をなくしたことに対する怒りや寂しさはありませんでした。ただ、なくしてしまったものは仕方がないなと感じていたことを覚えています。 しかし、新たに結婚指輪を購入して妻にプレゼントしようという気持ちも生まれませんでした。それは気持ちの面でも金銭面でもなく、結婚指輪を贈るタイミングは一度きりだと思っていたからです。   そんな僕が結婚20周年の節目にもう一度、妻に結婚指輪を贈りたいと思うようになったのはluxurymeとの出逢い、そしてluxurymeのメンバーとのある出来事が大きく関係しています。 2024年の秋、後輩の結婚が決まりました。後輩から婚約指輪について相談を受けた僕はluxurymeを紹介しました。ゼロからつくり上げていく企画。幸せなゴールを思い描いていたのは僕だけではなく、luxurymeのメンバーも同じだったと思います。 後輩との打ち合わせを重ね、丁寧なヒアリングから、luxurymeの熱意が込められたプレゼンテーションまで。メンバーの皆さんにはたくさんのご尽力を頂きました。しかしluxurymeにとって初めてのオーダー企画は残念ながら実現には至りませんでした。 メンバーの皆さんがひとつひとつのプロセスに向き合う姿を特等席で見させて頂いた僕の心は次第にある想いへと傾いていきました。 「この人たちに、妻への結婚指輪をオーダーで託したい」 そう思った瞬間、妻への結婚20周年の贈り物が決まりました。 2025年、luxurymeのメンバーに僕の想いを伝えました。そして結婚20周年を迎える2026年。メンバーの皆さんは僕たち夫婦のために動き始めてくれたのです。結婚20周年のプレゼントについて、僕は妻にサプライズで贈るのではなく、まずは妻自身の想いを聴くことにしました。僕の気持ちだけが一方通行にならないように妻の気持ちを大切にしたかったからです。そんな僕の想いをluxurymeは何よりも大切にしてくれました。 ZOOMでの打ち合わせでは妻の要望をはじめ、デザインや素材、サイズに至るまで細やかにヒアリングしてくれました。  妻が以前、結婚指輪をなくしてしまった原因はそのデザインにありました。凹凸のある指輪には石鹸が挟まることが多く、入浴の際に指輪を外すようになったことがなくしてしまった大きな原因だったのです。 そんな僕たち夫婦の想いを胸に3人は僕たちの願いを叶えられるアトリエに出逢うため、複数のアトリエに足を運んでくれました。最後の最後まで3人で意見を交わしながら、ようやく最終的なデザインに辿り着いたそうです。妻がずっと身に着けていられるデザインを優先して考えてくれたことも本当に嬉しかったです。 アトリエで打ち合わせしているluxurymeのメンバーからLINEが届きました。指輪の内側に刻む文字についての確認でした。手書きのメッセージを刻印することもできるそうですが僕が唯一こだわりたかったのは以前の結婚指輪と同じ刻印にすることでした。 2006.10.17 いつまでも変わることのない、僕たち夫婦の大切な記念日です。 そして、2026年10月9日。 この日、luxurymeのメンバーから結婚指輪を受け取りました。約束していた結婚20周年の記念日を前に直接手渡しで届けてくれた3人の気持ちがとても嬉しかったです。溢れそうになる涙をこらえながら笑顔で指輪を受け取りました。 記念日よりも少し早いタイミングでしたが、受け取ったその日、僕は妻に20年目の贈り物を渡しました。3人が妻の想いを汲み取ってくれたデザインを見た妻のリアクションは……。 「この指輪は一生外さない……」 妻のそのひと言を聴いて、これまで妻がずっと心のどこかで後悔していたのだろうと、その想いが伝わってきました。 そして今回、luxurymeのジュエリーを通じて妻が抱えていた後悔とお別れできるのだと確信しました。20年目の贈り物となる指輪を手にした妻の表情には笑顔が溢れていました。 「オーダーできるジュエリーって良いね。」 もちろん、その笑顔を見ている僕も笑顔に。そして、僕たち夫婦のために携わってくれたluxurymeのメンバー3人の笑顔も自然と浮かんできました。 luxurymeの皆さんの仕事は人の幸せをカタチにできる仕事なのだと改めて感じました。そして、そんなluxurymeに依頼できたこと自体が僕にとっての幸せでもありました。オーダーだからこそ生まれる幸せがここにありました。...

その涙は.....#5 

その涙は.....#5 

でも、佑次郎さんはの名前は呼ばれませんでした。審査が終わり、試合の終了を認識したとき、体と会場の熱気が、少し遠くなったような気がしました。あれだけ叫んだのに。あれだけ祈ったのに。私たちは、しばらく舞台を見つめたまま動けませんでした。 そして、「……なんて声をかけよう。」と持ってきたケーキと花束を手に、ロビーへ向かいます。そこには、奥様と、戦いを終えたばかりの佑次郎さんがいました。私たちを見ると、佑次郎さんは、申し訳なさそうに頭を下げました。 私たちは、何と言えばいいのかわからない。「お疲れさまでした!!」「ゆうじろうさん本当にかっこよかったです」という台本通りの言葉が口をついて出てきた。しかしメンバーの伊藤愛がはっきりと言い放った。 「審判は、どこを見てるんですか。」 「佑次郎さんが、一番でした。」 「私、悔しいです。」 しかも、大粒の涙を流して。 愛ちゃんの涙を見た瞬間、胸の奥にあったものが、一気に込み上げてきました。 佑次郎さんも。奥様も。ゆうきちゃんも。私も。気づけば、大の大人が5人。ホテルのロビーで泣いた。それは、悲しいだけの涙ではありませんでした。悔しかった。本当に、悔しかった。努力されてきたことを知っていたから。真夏の暑い中、毎日トレーニングしていたことを。身体をつくりながら、食事も水分も制限し、限界まで自分を追い込んでいたことを知っていたから。 その日、私は改めて、佑次郎さんという人の強さを感じました。 トレーナーとして。そして、経営者として。たくさんの人を引っ張っていく立場にいる人が、自ら大会に出て、人前に立ち、自分自身の身体と努力のすべてをさらけ出して、評価される。それは、ものすごいプレッシャーの中で、自分自身と向き合うことなのだと思います。そして、その舞台から降りたあとも、自分自身の悔しさを飲み込んで、仲間に気を遣い、奥様を気遣い、応援してくれた人たちに感謝を伝え、笑顔でいようとする。それが、佑次郎さんなのだと思いました。 でも。その「大人の対応」に、NOを突きつけたのが、伊藤愛でした。 「私は悔しい。」 「納得いかない。」 「佑次郎さんが一番だった。」 綺麗なドレスを着た伊藤愛は、顔をぐちゃぐちゃにして、心の底に皆が感じていたその感情を、なかったことにしなかった。涙と一緒にみんなの気持ちも一緒に全部出してくれた。そして不思議なことに、その言葉を聞いた瞬間、張り詰めた緊張が解けた。その場にいた誰も愛ちゃんの言葉を否定しなかった。それほどまでに、みんなが佑次郎さんを一番好きで、みんなが彼を応援していたのだと思います。 私たちはその日、消防士として第一線で活躍していた仕事を離れ、新しいフィールドに挑戦し、そして、たくさんの人が見ている舞台で、本気で戦い、本気で悔しがり、涙を流す一人の男性に出逢いました。その姿を見て、私は帰り道、何度も自分に問いかけました。 私は、私を生きているのだろうか。 私は、本気なのだろうか。 友達が、悔しくて泣いてくれるほど、私は、自分の人生を生きているのだろうか。 応援した喉が確かに痛む、東海道線の中で、そんなことを問いかけずにはいられない、忘れ難い一日になりました。 私たちには、もうひとつ、やり残していることがあります。 あの日、振り出しに戻って。何度も何度も探して。 最後の最後に出逢った、太陽の石「シトリン」 太陽のように、どんな時も輝き続け、そして多くの人を照らし続ける。 そんな佑次郎さんをイメージした、太陽のジュエリー。佑次郎さんと作り上げた世界にたったひとつのデザインのネックレス。そのジュエリーを完成させなければならない。 大会は終わりました。 でも、私たちの物語は、まだ終わっていません。いよいよ、9月13日(日)21時、佑次郎さんと共に半年以上の歳月をかけたジュエリーを販売します。 「太陽の石」と呼ばれるシトリンを大胆にあしらった、ユニセックスのテラヘルツネックレス。テラヘルツ YUJIROモデル。 いよいよ発売です。...

その涙は.....#5 

でも、佑次郎さんはの名前は呼ばれませんでした。審査が終わり、試合の終了を認識したとき、体と会場の熱気が、少し遠くなったような気がしました。あれだけ叫んだのに。あれだけ祈ったのに。私たちは、しばらく舞台を見つめたまま動けませんでした。 そして、「……なんて声をかけよう。」と持ってきたケーキと花束を手に、ロビーへ向かいます。そこには、奥様と、戦いを終えたばかりの佑次郎さんがいました。私たちを見ると、佑次郎さんは、申し訳なさそうに頭を下げました。 私たちは、何と言えばいいのかわからない。「お疲れさまでした!!」「ゆうじろうさん本当にかっこよかったです」という台本通りの言葉が口をついて出てきた。しかしメンバーの伊藤愛がはっきりと言い放った。 「審判は、どこを見てるんですか。」 「佑次郎さんが、一番でした。」 「私、悔しいです。」 しかも、大粒の涙を流して。 愛ちゃんの涙を見た瞬間、胸の奥にあったものが、一気に込み上げてきました。 佑次郎さんも。奥様も。ゆうきちゃんも。私も。気づけば、大の大人が5人。ホテルのロビーで泣いた。それは、悲しいだけの涙ではありませんでした。悔しかった。本当に、悔しかった。努力されてきたことを知っていたから。真夏の暑い中、毎日トレーニングしていたことを。身体をつくりながら、食事も水分も制限し、限界まで自分を追い込んでいたことを知っていたから。 その日、私は改めて、佑次郎さんという人の強さを感じました。 トレーナーとして。そして、経営者として。たくさんの人を引っ張っていく立場にいる人が、自ら大会に出て、人前に立ち、自分自身の身体と努力のすべてをさらけ出して、評価される。それは、ものすごいプレッシャーの中で、自分自身と向き合うことなのだと思います。そして、その舞台から降りたあとも、自分自身の悔しさを飲み込んで、仲間に気を遣い、奥様を気遣い、応援してくれた人たちに感謝を伝え、笑顔でいようとする。それが、佑次郎さんなのだと思いました。 でも。その「大人の対応」に、NOを突きつけたのが、伊藤愛でした。 「私は悔しい。」 「納得いかない。」 「佑次郎さんが一番だった。」 綺麗なドレスを着た伊藤愛は、顔をぐちゃぐちゃにして、心の底に皆が感じていたその感情を、なかったことにしなかった。涙と一緒にみんなの気持ちも一緒に全部出してくれた。そして不思議なことに、その言葉を聞いた瞬間、張り詰めた緊張が解けた。その場にいた誰も愛ちゃんの言葉を否定しなかった。それほどまでに、みんなが佑次郎さんを一番好きで、みんなが彼を応援していたのだと思います。 私たちはその日、消防士として第一線で活躍していた仕事を離れ、新しいフィールドに挑戦し、そして、たくさんの人が見ている舞台で、本気で戦い、本気で悔しがり、涙を流す一人の男性に出逢いました。その姿を見て、私は帰り道、何度も自分に問いかけました。 私は、私を生きているのだろうか。 私は、本気なのだろうか。 友達が、悔しくて泣いてくれるほど、私は、自分の人生を生きているのだろうか。 応援した喉が確かに痛む、東海道線の中で、そんなことを問いかけずにはいられない、忘れ難い一日になりました。 私たちには、もうひとつ、やり残していることがあります。 あの日、振り出しに戻って。何度も何度も探して。 最後の最後に出逢った、太陽の石「シトリン」 太陽のように、どんな時も輝き続け、そして多くの人を照らし続ける。 そんな佑次郎さんをイメージした、太陽のジュエリー。佑次郎さんと作り上げた世界にたったひとつのデザインのネックレス。そのジュエリーを完成させなければならない。 大会は終わりました。 でも、私たちの物語は、まだ終わっていません。いよいよ、9月13日(日)21時、佑次郎さんと共に半年以上の歳月をかけたジュエリーを販売します。 「太陽の石」と呼ばれるシトリンを大胆にあしらった、ユニセックスのテラヘルツネックレス。テラヘルツ YUJIROモデル。 いよいよ発売です。...

大会の日① #4 

大会の日① #4 

8月29日。神戸ポートピアホール。  メンバーの伊藤愛と私は、少し緊張しながら、その場所に降り立ちました。 夏の終わりの、少し高くなった空。 その向こうに見える海。 今日、ここで佑次郎さんが戦う。 そう思うと、いつもの神戸の景色まで、少し違って見えました。 そして、ロビーに入った瞬間。顔を見合わせました。 そこにいる男性は、みんな筋肉隆々。 女性たちは、カモシカのような長い脚で颯爽と歩いている。 鍛え上げられた身体を、ビキニやショートパンツで披露する選手たち。会場を包む、独特の熱気。関西最大級ともいわれる神戸大会には、400名を超える選手がエントリーしていました。 時計を見る。16時。佑次郎さんの出場まで、あと45分。 「ところで……どうやって審査するんですか?」 私たちは、今回のご縁をつないでくださった ゆうきさんに、大会のルールを教えてもらいました。 まず、名前を呼ばれなければ次のステージには進めない。 そこからさらに人数が絞られていく。 そして、最後に残った選手同士が競う。 佑次郎さんは、前回の地方大会で2位。 今回は優勝を狙っている。 そう聞いていました。私たちも、 応援用のうちわを手に、準備万端。そして、いよいよ。 選手たちが舞台袖へ集まり始めました。けれど薄暗くよく見えない。その時でした。一人だけ目に留まる人がいました。晴れ舞台、多くの人が最後のコンディションを整えている中、スタッフの方に気を配り直前にもかかわらず会釈をする男性の影が見える。 「……あの人じゃない?」「うん。」 「絶対そう。」 私たちは確信しました。 佑次郎さんでした。いよいよ審査が始まりました。名前が呼ばれれば、次のステージへ。 その「名前」が、なかなか呼ばれない。私たちは、 祈るような気持ちで舞台を見つめました。 「お願い……。」 「佑次郎さん……。」...

大会の日① #4 

8月29日。神戸ポートピアホール。  メンバーの伊藤愛と私は、少し緊張しながら、その場所に降り立ちました。 夏の終わりの、少し高くなった空。 その向こうに見える海。 今日、ここで佑次郎さんが戦う。 そう思うと、いつもの神戸の景色まで、少し違って見えました。 そして、ロビーに入った瞬間。顔を見合わせました。 そこにいる男性は、みんな筋肉隆々。 女性たちは、カモシカのような長い脚で颯爽と歩いている。 鍛え上げられた身体を、ビキニやショートパンツで披露する選手たち。会場を包む、独特の熱気。関西最大級ともいわれる神戸大会には、400名を超える選手がエントリーしていました。 時計を見る。16時。佑次郎さんの出場まで、あと45分。 「ところで……どうやって審査するんですか?」 私たちは、今回のご縁をつないでくださった ゆうきさんに、大会のルールを教えてもらいました。 まず、名前を呼ばれなければ次のステージには進めない。 そこからさらに人数が絞られていく。 そして、最後に残った選手同士が競う。 佑次郎さんは、前回の地方大会で2位。 今回は優勝を狙っている。 そう聞いていました。私たちも、 応援用のうちわを手に、準備万端。そして、いよいよ。 選手たちが舞台袖へ集まり始めました。けれど薄暗くよく見えない。その時でした。一人だけ目に留まる人がいました。晴れ舞台、多くの人が最後のコンディションを整えている中、スタッフの方に気を配り直前にもかかわらず会釈をする男性の影が見える。 「……あの人じゃない?」「うん。」 「絶対そう。」 私たちは確信しました。 佑次郎さんでした。いよいよ審査が始まりました。名前が呼ばれれば、次のステージへ。 その「名前」が、なかなか呼ばれない。私たちは、 祈るような気持ちで舞台を見つめました。 「お願い……。」 「佑次郎さん……。」...

完成か!? #3

完成か!? #3

その時、倉本美紀は、、持ち前の笑顔を保ちながらで「実は……」と切り出す佑次郎さんの、その言葉の続きを、固唾を飲んで待っていました。 「実は、変色してしまいまして。毎日つけてたからでしょうか。」 ……。 佑次郎さんの声に、一瞬、言葉を失いました。 なんと、何店舗も何店舗も探し回って、ようやく見つけ出したトップの素材が、佑次郎さんのハードなトレーニングの汗に耐えられず、変色してしまったのです。 しかも、たったひと月で。 それもそのはず。私たちは7月1日、メンバーの伊藤愛主催で、佑次郎さんのトレーニング会に参加していた。そこで見た汗の量は、時間も量も想像を超えていた。 このトップは、もともと「もう少し大きい方がいい」という佑次郎さんからのリクエストがありました。 けれど、なかなか理想のデザインが見つからない。 そこで、苦肉の策として私たちが提案したものでした。 「……どうしよう。」 開発は、再び暗礁に乗り上げました。 そして、そんな私たちの開発が振り出しに戻った頃。 佑次郎さんご自身も、8月29日に控えたボディビルディングの大会に向けて、まさに天王山を迎えていました。 筋肉をつけながら、同時に体脂肪を落としていく。 ボディビルディングに詳しい方なら、その過酷さはきっとご存じだと思います。 毎日Instagramに投稿される写真からも、身体がどんどん絞られていくのが、素人の私たちにもわかるほどでした。 そんな真夏の、厳しい厳しいトレーニングの日々。 その毎日、佑次郎さんがこのネックレスを身につけてくださっていたのだと思うと、今も胸が熱くなります。 「なんとかしたい。」 そんな気持ちが、ますます強くなりました。 そこから、また私たちの素材探しの日々が始まりました。 何店舗も、何店舗も巡る。 時間だけが過ぎていきます。 少しでも多く巡りたいと、公園の石垣に腰掛け、パンを頬張った日もありました。 「もう時間がない。」 「本当に、どうしよう。」 妙案が浮かばないままその日は解散。足は棒になっていました。 一人、なんの成果もないままい、家路につこうとしていた時でした。 ふと、目の前にある、馴染みのお取引先のドアに手をかけました。...

完成か!? #3

その時、倉本美紀は、、持ち前の笑顔を保ちながらで「実は……」と切り出す佑次郎さんの、その言葉の続きを、固唾を飲んで待っていました。 「実は、変色してしまいまして。毎日つけてたからでしょうか。」 ……。 佑次郎さんの声に、一瞬、言葉を失いました。 なんと、何店舗も何店舗も探し回って、ようやく見つけ出したトップの素材が、佑次郎さんのハードなトレーニングの汗に耐えられず、変色してしまったのです。 しかも、たったひと月で。 それもそのはず。私たちは7月1日、メンバーの伊藤愛主催で、佑次郎さんのトレーニング会に参加していた。そこで見た汗の量は、時間も量も想像を超えていた。 このトップは、もともと「もう少し大きい方がいい」という佑次郎さんからのリクエストがありました。 けれど、なかなか理想のデザインが見つからない。 そこで、苦肉の策として私たちが提案したものでした。 「……どうしよう。」 開発は、再び暗礁に乗り上げました。 そして、そんな私たちの開発が振り出しに戻った頃。 佑次郎さんご自身も、8月29日に控えたボディビルディングの大会に向けて、まさに天王山を迎えていました。 筋肉をつけながら、同時に体脂肪を落としていく。 ボディビルディングに詳しい方なら、その過酷さはきっとご存じだと思います。 毎日Instagramに投稿される写真からも、身体がどんどん絞られていくのが、素人の私たちにもわかるほどでした。 そんな真夏の、厳しい厳しいトレーニングの日々。 その毎日、佑次郎さんがこのネックレスを身につけてくださっていたのだと思うと、今も胸が熱くなります。 「なんとかしたい。」 そんな気持ちが、ますます強くなりました。 そこから、また私たちの素材探しの日々が始まりました。 何店舗も、何店舗も巡る。 時間だけが過ぎていきます。 少しでも多く巡りたいと、公園の石垣に腰掛け、パンを頬張った日もありました。 「もう時間がない。」 「本当に、どうしよう。」 妙案が浮かばないままその日は解散。足は棒になっていました。 一人、なんの成果もないままい、家路につこうとしていた時でした。 ふと、目の前にある、馴染みのお取引先のドアに手をかけました。...

トレーニングとデザイン #2 

トレーニングとデザイン #2 

佑次郎さんと出逢って、ほどなくして。 今度は私たち3人で、実際にトレーニングを体験させていただくことになりました。 そして、わずか20分ほどのトレーニングで身体の姿勢が変わったことに驚きました。 「身体って、こんな短時間でも変わるんだ。」 その体感と同時に、私たちの中にひとつのアイデアが浮かびました。 当時、大人気で品切れが続いていたLuxury Meのテラヘルツネックレス。 佑次郎さんがされているお仕事と、とても親和性が高いのではないか。 もし、このネックレスが佑次郎さんの活動の一助になり、 そして身体と向き合う方々にも新しい選択肢として届けられたら。 そんな想いから、一緒に商品を開発することになりました。 華やかなスタートを切った私たちでしたが―― ものづくりの道は、決して平坦ではありませんでした。 試作しては修正。 また試作しては修正。 デザインを起こし、ご本人にも見ていただきながら、 何度も何度もやり直しました。時に佑次郎さんご自身にもデザインを起こしていただきました。 メンバーの倉本美紀、伊藤愛も何度もスタジオに足を運び、自分たち自身のボディメイクにも取り組みながら、打ち合わせを重ねていきました。 そして、気づけば半年。 2026年の夏。 ようやくひとつの形が見えてきて、私たちは「仮リリース」という形で、なんとか仮の作品をお渡しするところまでたどり着きました。 でも、この半年間で、私たちが何より印象に残ったことがあります。 それは、佑次郎さんが一度も 「私たちの顔色を見て、ただ頷く」ということをしなかったこと。 「ここは違うと思います。」 「こうしたほうがいい。」 細かな部分まで、きちんとご自身の意見を伝えてくださる。 その姿勢は、時に厳しくもありました。 でも、それが嫌ではなかった。 むしろ、嬉しかったのです。...

トレーニングとデザイン #2 

佑次郎さんと出逢って、ほどなくして。 今度は私たち3人で、実際にトレーニングを体験させていただくことになりました。 そして、わずか20分ほどのトレーニングで身体の姿勢が変わったことに驚きました。 「身体って、こんな短時間でも変わるんだ。」 その体感と同時に、私たちの中にひとつのアイデアが浮かびました。 当時、大人気で品切れが続いていたLuxury Meのテラヘルツネックレス。 佑次郎さんがされているお仕事と、とても親和性が高いのではないか。 もし、このネックレスが佑次郎さんの活動の一助になり、 そして身体と向き合う方々にも新しい選択肢として届けられたら。 そんな想いから、一緒に商品を開発することになりました。 華やかなスタートを切った私たちでしたが―― ものづくりの道は、決して平坦ではありませんでした。 試作しては修正。 また試作しては修正。 デザインを起こし、ご本人にも見ていただきながら、 何度も何度もやり直しました。時に佑次郎さんご自身にもデザインを起こしていただきました。 メンバーの倉本美紀、伊藤愛も何度もスタジオに足を運び、自分たち自身のボディメイクにも取り組みながら、打ち合わせを重ねていきました。 そして、気づけば半年。 2026年の夏。 ようやくひとつの形が見えてきて、私たちは「仮リリース」という形で、なんとか仮の作品をお渡しするところまでたどり着きました。 でも、この半年間で、私たちが何より印象に残ったことがあります。 それは、佑次郎さんが一度も 「私たちの顔色を見て、ただ頷く」ということをしなかったこと。 「ここは違うと思います。」 「こうしたほうがいい。」 細かな部分まで、きちんとご自身の意見を伝えてくださる。 その姿勢は、時に厳しくもありました。 でも、それが嫌ではなかった。 むしろ、嬉しかったのです。...

大人気トレーナー佑次郎さんとの出会い #1

大人気トレーナー佑次郎さんとの出会い #1

#1 佑次郎さんとの出逢い こんにちは。Luxury Me Luxury Worldの弥生です。  久しぶりのブログとなります。 今回は、半年以上一緒に製品作りを重ねてきた、 トレーナー佑次郎さんとの出会いから、 コラボジュエリー完成までの道のりをご紹介します。 少し長いですが、5部に分けてブログをお届けします。 ぜひお楽しみください♡ 時を遡ること、2026年1月16日。 私たちは、ある一人のトレーナーさんに出逢いました。  元消防士。 長く「人の命を守る」という仕事に携わり、現在はその経験を活かしながら、地域の方々のQOL(生活の質)の向上をサポートされています。 その方が、佑次郎さんでした。 (THE STOIC CLUB(ストイッククラブ)所属) きっかけは、共通の友人であるゆうきさんからのご紹介でした。 Luxury Me Luxury Worldのメンバーであるフローリスト倉本美紀と 難民支援につながる英会話教室を現在運営中の田代弥生。 それぞれがそれぞれの 仕事を通じてゆうきさんとご縁があり、 「ぜひ、Luxury Me Luxury World...

大人気トレーナー佑次郎さんとの出会い #1

#1 佑次郎さんとの出逢い こんにちは。Luxury Me Luxury Worldの弥生です。  久しぶりのブログとなります。 今回は、半年以上一緒に製品作りを重ねてきた、 トレーナー佑次郎さんとの出会いから、 コラボジュエリー完成までの道のりをご紹介します。 少し長いですが、5部に分けてブログをお届けします。 ぜひお楽しみください♡ 時を遡ること、2026年1月16日。 私たちは、ある一人のトレーナーさんに出逢いました。  元消防士。 長く「人の命を守る」という仕事に携わり、現在はその経験を活かしながら、地域の方々のQOL(生活の質)の向上をサポートされています。 その方が、佑次郎さんでした。 (THE STOIC CLUB(ストイッククラブ)所属) きっかけは、共通の友人であるゆうきさんからのご紹介でした。 Luxury Me Luxury Worldのメンバーであるフローリスト倉本美紀と 難民支援につながる英会話教室を現在運営中の田代弥生。 それぞれがそれぞれの 仕事を通じてゆうきさんとご縁があり、 「ぜひ、Luxury Me Luxury World...